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連日、香港のデモが世界中で報じられている。このままでは天安門事件の再来になるのではないかという危惧も囁かれるなか、経営コンサルタントの大前研一氏は、中国が香港や台湾の問題と現実的に向き合うための構想を解説する。

 * * *  香港で「逃亡犯条例」改正案の撤回を求める市民のデモが続き、毎週末に警官隊と衝突している。最大のデモには200万人が参加したとされ、これは香港の人口約750万人の3割近くに相当する。デモ隊に占拠された香港国際空港が全便欠航になる事態も起きた。

今回の混乱では、中国共産党支配と一国二制度の歪みが露呈した。香港は1997年にイギリスから中国に返還された際、50年間(2047年まで)は社会主義の中国と異なる資本主義を維持することが約束され、外交と国防を除いて「高度な自治」が認められたが、それを中国は骨抜きにしようとしているのだ。結局、一国二制度はあくまでも中国共産党が許容する範囲内のことでしかないのである。

 かつて私は、中国の将来像を俯瞰し、北京を盟主として香港、台湾、シンガポールなどを包含するイギリス連邦的なコモンウェルス構想──「中華連邦(ユナイテッドステーツ・オブ・チャイナ)」というコンセプトを実現するしかない、と提案したことがある。

 その心は、イギリスとオーストラリアやニュージーランド、カナダなどとの関係と同様の独立した主権国家から成る緩やかな国家連合(集合体)を構築し、中国の国家主席はエリザベス女王のように君臨するが統治せず、加盟国に政治的な干渉をしない。そういう仕組みを作れば、香港の問題は解決するし、台湾もあえて独立する必要がなくなり連邦に加盟する。

 さらにチベット自治区や新疆ウイグル自治区、内モンゴル自治区にも香港や台湾と同レベルの自治を認めれば、すべてが丸く収まり、中国の発展にもつながると考えたのだ。

 私はこのコンセプトを、当時の台湾の李登輝総統に提案し、それを台湾の対中国交渉窓口機関である海峡交流基金会の辜振甫理事長が、1993年にシンガポールで開かれた第1回の両岸会議で、中国の海峡両岸関係協会の汪道涵会長らを前に披瀝した。

 ところが、これを中国共産党が警戒したらしく、その後、中国国内では「連邦」という言葉が禁じられ、社名に連邦が入っている会社は、強制的に社名変更させられてしまった。

「連邦」というのは、異なる発想を許すものだ。アメリカも建国時の13州の意見が一致しなかったからユナイテッド・ステーツになった。しかし、中国共産党はそれを危険視して許さなかったのである。要するに、「千丈の堤も蟻の一穴から崩れる」ということで、自分たちに都合の悪いことはすべて封印しているのだ。

 おそらく今回のデモや暴動で、中国政府は反中国派・民主派の香港人に対する監視をいっそう強化しているはずだ。デモ行為に対する人民解放軍の投入まで言及するようになっている。いま習近平政権は海外への送金や現金の持ち出しを厳しく規制しているが、それはその行為が亡命や国外脱出の準備とイコールだからである。

すでに香港では台湾への移住が増えているという。あと28年で香港は完全に中国の一部になるわけだから、このまま中国政府が香港に対する締め付けを強化していけば、反中国派・民主派の香港人の多くは海外に移住せざるを得なくなるだろう。1997年の中国返還時には多数の香港人がカナダやオーストラリアなどに脱出したが、それ以来の大脱出がこれから起きるかもしれない。

 2047年までに中華連邦構想が実現できれば香港は生き延び、急成長している隣の深センを利用しながら「粤港澳大湾区(グレーター・ベイエリア)構想」(※注)の中で新たな発展を遂げることも可能になる。

 だが、このまま中国に併呑され、許容度が小さい中国共産党の支配下に置かれてしまったら、どんどん活力を失って衰退するしかないと思う。当然、台湾はその姿を見て一国二制度は受け入れられない、ということになり、独立国家としての道を探ることになるだろう。

【注/広東省(粤)の9都市(深セン、広州、東莞、恵州、仏山、江門、中山、珠海、肇慶)、香港(港)、マカオ(澳)を統合し、世界三大ベイエリア(東京、サンフランシスコ、ニューヨーク)に匹敵するベイエリアに発展させることを目指す構想】